私の忘備録 高校入学 早速挫折! こらえ性の無かった青春時代の始まり 懺悔と後悔の日々

スポーツ

こんにちは、逆境☆マンです。

高校入学、勝手に挫折編の話

高校受験で散々な辛酸をなめた後、何とか高校へ滑り込み入学!

一旦安堵したらさらにだらけてしまった私。

勉強は輪をかけて取り組まなくなり、スタートダッシュから劣等生全快(笑)

クラスの子達とは少しずつ打ち解け始めましたが、人生で初めてアホな子のレッテルを授かります。

これにまた屈折したプライドがメキメキと頭をもたげ始めました。

でも勉強しない。

困った輩の典型例です(笑)

もはや自分にはこれしかない!と唯一の心の砦、テニス部に入部します。

この頃私の通う高校は、愛知県下の公立高校では割と強豪校で県ベスト8程の実力でした。

中学時代の環境とは異なり、先生達がとても熱心な指導をして下さる部活でした。

練習量も他の部活の追随を許さない多さ。

土日もありません。

ただそれを支えているのは本当に先生の愛情と情熱でした。

ご自身の大切な時間を費やして、全力で部を愛してくれていました。

しかし、それも分からぬアホがここに誕生します。

ここでドアホな私にとってスポーツの内容で初めての挫折を経験します。

先生から大規模フォーム改善を指示された事です。

と言うのも中学時代のテニス部では左右両手でストロークをしていました。

しかしこれだとパワーはありますが、高校生の運動量、俊敏性でよほど群を抜いていないと上位へは勝ち抜けません。

その昔女子の世界ランキング1位だったモニカ・セレシュ選手が両腕ストローカーだった事を見て頂ければその大変さが分かると思います。

特に背の小さい私には半端な運動量ではない。

中学時代、鳴り物入りで甘やかされ、小さな成功を勝手に誇大評価した哀れな輩の行く末は…

やってみた所まー上手くいかない!(涙)

今まで余裕で勝てた先輩、同期に手も足も出なくなりました。

原因はヒッティングポイントが10cm程変わった事。

でもこれを1年我慢すれば、一皮も二皮も向けた選手になれると…

これをしっかりと成し遂げた先輩は、後に大学の全国大会、インカレに出場する選手になりました。

あの運動音痴だった親友Oも努力の末、その後インカレ一歩手前の東海選手権準優勝にまでなる選手となりました。

一方…

当時最も周囲から期待されていた私はと言うと…

このたった一年の我慢が出来ず、荒れ狂い、部の規律を乱し、先輩や友の声も遠ざけて耳をふさぎ、部活を出奔…

それでも先生の温情で一度は復帰させて頂いたのに…

再度離脱…

とにかく我慢の出来ない子でした。

今まで小さな小さな子供の世界でチヤホヤされ、多少の運動神経と上手くいった小さな成功体験だけを胸に抱き、大局の見えない我儘坊やに成り下がっていました。

そして最後の砦を失った私は、糸の切れた凧のようにただフワフワと漂う何もない輩になってしまいました。

いくらでもやり直すチャンスがあったのに…

あの頃の事を想うとオヤジになった今でも胸がキュンとし悲しい気持ちになります。

皆優しかった、こんなとんでもない輩の未来にかけてくれた。

もし私が更生していたら、この部創設以来の強豪校になる可能性を秘めていたとOは今でも罵ります(笑)

30年も経っているのに(笑)

でも罵しられても仕方ない事を私はやってしまったのです…

あれほど中学の野球部で練習しない先輩を憎んでいたのに、ある意味それ以上に醜い行いを私はやらかしてしまいました。

今更といっては何ですが、一生の十字架を背負う事を自ら選択したのです。

当時はその意味さえ分からぬお馬鹿でした。

勉強もしない、最後のお守りを自分で捨てた。

抜け殻の高校生活の始まりでした。

次回そんな自分の葛藤、転機?編です。

ただそうそう簡単に神様は許してくれませんよー(笑)

お楽しみに!(笑)

こんな話が皆様のお役に立てれば何よりです。

ではでは

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