こんにちは、逆境☆マンです。
思えばとんでもなかったなー笑
まず最初に配属された部署は当時社内で最も売上成績が良く、労働環境も過酷でした。
しかし私にとって過酷だったのは、仕事内容ではなく仕事をさせてもらえない事でした。
大学を二浪して上京した私は当時社会に出て何等か仕事のイロハを覚えるまで3年は辞めまいと決意して入社しました。
社会人になって3年は石にしがみ付いても乗り越えようと。
それは地獄の始まりでした。
早朝事務所掃除をします。
すると当時の上司は回線電話の裏の埃をふき取って、綺麗に拭いていない、と。
そして言われました。
君には席は無い、電話も取るな。
PCも触るな。
はい。
と当時はなんの質疑応答を出来る猶予も与えられませんでした。
何がいけなかったんだろう?
答えも分からぬまま、日々掃除ずくしの日々が続きました。
暗い倉庫で訳もわからず商品を手に取って必死で覚えようとしました。
見て覚えろ?と言うのか?
昔のすし職人の世界のように?
意を決して何かやらせて下さい!
と直訴しました。
すると何かって何をだ!甘えるんじゃねー!
と怒鳴りつけられました。
しかし当時は業務に対して直結する研修等有るはずも無く、それしか吐き出せる言葉も無い新人にこの言葉とは?
社会ってこういうものなのか?
優しくなくともヒントも道筋も与えられないものなのか?
それでも毎日頭を下げてお願いして回りました。
ある日無力な自分が情けなくて涙を零した所、女性社員やフロア全体に響くように、だからお前は甘えてるんだ!
と。
見かねた女性社員が執成す姿を見て、再度怒鳴られました。
お前はいつまでもお姉ちゃんによしよししてもらっていろ、と。
帰り道、再び涙しました。
だから挨拶以外声を出さず、ひっそりと通勤し続けました。
辛かった、情けなかった、でも辞められないと信じ込んでいた。
ただ早く仕事を覚えたかった。
徐々に気力は失われて行きました。
ただこの状況でおめおめと実家に帰る事は出来ない。
唯一の救いは同期の仲間が同じ寮に住み、交流があった事です。
ただ、他の事業所にいる彼らの話を聞くと、どうも様子が違います。
皆遅くまで働いていましたが、会社の業務に直結した事を習って忙しいと。
社内の共通の用語も飛び交います。
何故こんなにも状況が違うんだ?
勿論自分は優秀ではないが、何をしたらこんなに新入社員の対応が異なるのか?と。
後に、この時期の会社は成長の過渡期で特に自分の部署は成績も好調な事、新入社員教育に関心が無い場所だった事を知りました。
自分が先輩になったらどんなに忙しくても苦しくても、このような行いは絶対にしないと心に誓いました。
まあ新入社員以降も後々とんでもない人達と相まみえる事になるとは、この時点では知る由もなかった20数年前。
しかしこの道で未だにこの会社に残っている理由は、素敵な出会いや関係の修復があったからです。
またその話は後程。
令和に生きる新入社員の皆さんを見て、少し羨ましい事とやっと時代と社会がまともになりつつある事が嬉しく感じられます。
オジサンになった自分もまだまだもがきながらも頑張るぞ!
彼らの無垢な笑顔を見て、当時を思い出した話です。
ではでは
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