こんにちは逆境☆マンです。
社会に揉まれて22年。
大人になってこんなに泣くのか?という位泣きました。
涙をながさせて頂けたという感情にさえ感謝しています。
彼は年齢も20歳程上の元他部署の上司でした。
前節でもお話させて頂いた、入社後の失意の中異動をした先で彼と始めて出会いました。
自身も大所帯の部署を束ねる重責がある中、迷える子羊のような私を大きな愛で迎え入れてくれました。
新規の飛び込み営業として何の予備知識もない私が途方に暮れているところを陰日向無く応援してくれました。
いや正確には日向で応援するとお互い部署間の軋轢で迷惑が掛かる為あえて陰から惜しみなく尽力して頂きました。
地方出身の私が病に倒れると、ご実家に招き入れて下さり、お父様、お母様、妹さんと共にご家族で看病してくれた時もあります。
この頃から公私ともにご家族とも親しくさせて頂きました。
私自身は正直に言うと直属の上司に恵まれず辛い日々が続きましたが、世の中捨てたものではないと思わせてもらいました。
こんな大人がいるのだと!
30歳を前に私が結婚を決意するに至らず、会社を去ろうとしたのを思い留まらせてくれたのも彼のお蔭です。
お蔭様でこんな私に寄り添ってくれる妻が出来ました。
実は私の妻も彼の元で1年直属の部下を経験していて多大なご迷惑をお掛けしていたにも関わらず、二人の結婚を本当に喜んでくれました。
娘が生まれてからも実の孫の様に娘と過ごし、私達家族を励まし、可愛がってもらいました。
娘にとっては実の祖父に並び、地元の祖父としていつも慣れ親しんでいました。
数カ月に一度は私達家族と四人んで食事に行き、家でだらだらお話して、その後彼のご実家にご挨拶させて頂くのが当たり前になっていました。
当たり前って当たり前では無い事に今更ながら気づかされます。
彼も若い頃結婚や家庭を考えた事があるとは知っていました。
色々な事情と40代で体を壊し糖尿病を患ったのも理由の一つだと思います。
だから殊更我々家族に注いでくれた深い愛情に涙が止まりません。
晩年はがんや透析をして入退院を繰り返しながらも懸命に後輩や携わる周囲の人間、困っている人をサポートしていました。
自分の事より人の事を気に掛ける人でした。
お茶目だけど意外と短気で頑固で、甘いものが大好きで、自身の家族の事も常に心配しているのに言葉で表さない不器用な兄貴でした。
私のみならず周囲の皆がいつも明るくなる、そんな太陽の様な人でした。
思い出は溢れるほどあるし、一番の思い出は何か?と問われるとなかなか選べません。
最後にかわした電話で、私が少し弱音を吐いた際送って頂いた言葉が耳から離れません。
中年になっても出世もせず、体を壊して家族にも心配をかける自分を蔑んだ時でした。
彼の中で私のあだ名は、かんちゃん。
かんちゃん、かんちゃんは誰とも比較出来ない優しい心と本当に素晴らしい家族と仲間がいる。
お兄はかんちゃんを誇りに思うよ。と
この文章を書いていても、涙がとまりません。
オヤジが号泣しながら書いています笑
娘のダンスの応援に行きたい!
と言っていたので、その日が近くなったら一緒に行こうと言ってたのに。
その当日が通夜になりました…
まだまだ話したりない事ばかり。
もっとああしたらよかった、こうしたらよかった、と悔やまれます。
今少しずつ気持ちを整理しています。
伝えたい事は、ただただお兄有難う。
天国でも笑って誰かを幸せにして楽しく過ごして下さい。
好きなだけ甘いものを食べて、飲んで、歌って、おしゃべりして。
あなたに頂いた心の宝物は何時までも忘れません!
いつか私がそちらへ行くその日まで。
ではでは
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