オジサンとは?模索し続ける道。8選

雑記

こんにちは逆境⭐︎マンです。

年齢的な所でも生き方としてもオジサンとなり長い年月がたちます。

ここで改めてオジサンについて考えてみました。

オジサンを語るうえで、初めて知った言葉があります。

そうポリコレ!

この言葉の意味から解説したいと思います。

Political Crrectness の略で「政治的正しさ」 「政治的妥当性」との事。

人種、国籍、宗教、年齢、障害などあらゆる差別的な表現を無くそうとする考え方や、そのための運動を指します。

多様性の時代に向けた言葉なんですね。

ほー、となりました。

してオジサンとポリコレ?ここはどんな相関関係があるのでしょうか?

この多様性、属性の番外地に生きる物がオジサンなのです。

オジサンなのに、だからと問われる存在。

強者、頑固、プライドの生き物。

寂しいが本音を漏らせない生き物。

取り扱い要注意の生き物。

それがオジサンです。

皆が皆、上記に当てはまる訳ではないですけどね。

自分もオジサンなので、身に沁みます。

今考えられているオジサンの未来

古くは戦国時代から続き、昭和、平成も連綿と流れた価値観の元、強く有らねばならないと言う価値観で育っている我々オジサン。

価値観の変化に対応出来ない人間だから生きづらくなるのかな?

社会の属性が全ての感覚のみで生きると人生の豊かさを失うのかな?

信じる道が視野狭窄となり頑固となるのかな?

職場、家族関係の中で孤立していないかな?

などみなさんも胸に手を当ててみたら思い当たる節があるのではないでしょうか。

もしかして、この現象は若さや年代、性別、属性のみでは測れないものかもとも思いますが、やはりオジサンはトータルで生きづらくなっている気がしてならないのは、私がオジサンだからでしょうか?

私のなりたいオジサン

私は強者でなくとも家族やコミュニティを守れる、繋がりを大切にする人になりたいなと思います。

人生を噛みしめながら感謝できるようにありたく思います。

オジサンとしてまだまだ変化しなければいけない事も沢山あるなと感じます。

とは言え、家族の為にも頑張らなければならないオジサン。

社会の間に漂う脆くて儚い生物。

仕事は勿論大切ですが、自らの心身を癒す場所を得られたら素敵だなと思います。

スターバックス的に言うとサードプレイスなのかな?

それをどこに求めるかは人それぞれ。

勿論仕事と家庭生活から全ての活力と癒し安心感、達成感を得られればそれに越したことはありません。

しかし生き辛そうなオジサンは度々散見されます。

私も未だ悩めるオジサンです。

自身の状況とオジサン男性の特性を知った上で思うサードプレイスって何だろう?

例えば

趣味に活路を見出す

副業

地域奉仕活動

慈善事業

ジム

キャンプ

スナック

オンラインゲーム

何より人とゆるくとも繋がりある生き方を模索したいですね。

今の私にはサードプレイスとしてブログ、ジム、スナックが生命力を与えてくれている気がします。

複数の居場所を探しながら、自分が情けなくなる時もあります。

家族、近隣にも優しく接してもらっている自覚もあるのに、何がサードプレイスだと自分に思うこともあります。

我儘だな自分は、と思ったりもします。

そんな時に、ゆるく世代、属性を超えてただそこにいられる空間が、私にとってこの三つです。

比較的人と繋がる事は得意な気はしていますが、自分のオジサン特性として、他者比較が大きなマイナスポイントを生み出す時も有ります。

自分の自身の無さと無力感に向き合う日々も多々あります。

いつかこの悩ましい状態すらも懐かしく思える日はくるのでしょうか?

皆さんはどんなオジサンになりたいですか?

一緒に模索し続けましょう。

ではでは

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